芯まで腐ってる

もうとっくの昔にダークサイド

お金なんて無くても楽しく生きていける

最近、「真夏の島に咲く花は」という小説を読んでいる。

 

この小説ではフィジーに住む様々な人々がクーデターによる騒乱で職を失ったり、様々な揉め事が発生して平穏な生活が脅かされた時友情や恋愛はどうなるのか?ということについて書かれている。

フィジーという国について

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元々フィジーという場所は一年中温暖で働かなくても一年中芋が取れてとりあえず餓死することはまずない

 

そのため人々はみな穏やかで働かない。元々イギリスの植民地だったがフィジー人があまりにも働かないので、しょうがなくインド人を奴隷として連れてきてプランテーションを始めたという歴史がある。

そうやって今、フィジーは南太平洋で一番経済的に豊かになり、砂糖の貿易で潤っている。

 

働かないフィジー人と働き者のインド人、中国人、日本人、イギリス人と多種の人種が混じり合い生活をしていく中で貧乏なフィジー人と金持ちの移住者たち…多くの問題がお金によって引き起こされる。

 

この話を読んでいると昔は誰も働いていなかったことにより格差はなく、人々は個人で所有するのではなく部族で所有するという考え方で誰かが困っていれば助け合う形でやってきた。

 

それが貨幣経済になったおかげで誰かが仕事をしてお金を村に持ってきて働いていない人もそれをもらう。働く者と働かない者に別れることでどんどん不公平感が高まるわけだ。

 

お金という概念が存在しない時は村で漁が得意な人間が海で魚を取り、何も出来ない人が芋を掘るというような分業ができていた。

 

お金って必要なのか?

ぶっちゃけ自給自足すればお金は必要ない。

 

田舎の農家の年収は専業農家で250万円ぐらい。うちの父親の田舎(宮崎の山奥)の友達は大体そのくらい。子供が4人いる家庭でそのレベルなのである。

 

田舎の農家は現金収入がそれほど無くても自分たちが食べる分の食料はほぼ全て自分たちで賄える

 

米を育てるのは基本で、他にも土地が余っているので芋や野菜、果物なんかもたくさんあるし、お茶なんかもいくらでもある。

山へ行けば栗とかタケノコとかいくらでも時期になれば取れるし、道端で100円で買えたりするのでほとんどお金はいらない。近所の人が余った野菜をくれたりすることもあるだろう。

 

はっきり言ってお金など人間が生きていく上でそれほど多く必要としないのだ。

 

年収が低いから結婚できないとか年収が低いから子育てできないとか言ってるけど昔はもっと貧しくて餓死する人もたくさんいた

人が多すぎて満州に送られたり、南米に移民として送られたりが普通にしていた。そんな時代と比べると今は無茶苦茶豊か。

 

南の島で自給自足しているおじさんは毎月1万円姉からお金をもらって米と調味料だけ買って他の食材は山で採っているが健康そうだった。

 

今の日本人は稼ぎすぎ、無駄に高い不健康に太らされた豚や霜降り和牛などを食べて糖尿病になり高い医療費を払っている。

痛風など愚か者のの極みではないか。楽をしたいから歩ける距離も車に乗り、美味いからと言って高カロリーな食事ばかりする。

 

豊かになることを追求してその豊かになったお金を使って不健康を手に入れる金持ち

 

自給自足という道を選び粗食によって健康的な食事になって畑仕事や猟によって健康的な体を手に入れた貧乏人

 

本当に豊かなのはどちらなのか?お金に一生縛られる生き方は私は愚かだと感じる。