俺は六本木で毎週のようにクラブを貸し切った金持ちの開く宴に参加し色んな金持ちや女を眺めてきた。
俺自身は金持ちでも何でもないが友人が金持ちと仲がよく、六本木でIT系企業で働いていた俺をよく誘ってくれていたから参加できていた。
そんな六本木の世界を見ていると常にマウンティングが行われていて俺はどこそこの会社で働いているとかそんな話題がほとんど。
結局カワイイ女の子はVIP席に座りに行ってしまうというのを何度も目撃してきた。
六本木という世界は本当に金持ちたちのための札束を使った殴り合いの場だと感じる。
帯封は参加券にしかならず、使える武器はレンガと呼ばれる1000万円の束からである。
時にリムジンだったり、マセラティだったりと言った小道具が必要だったり、タワマンの上層階と言った場が必要だったりする。(タワマンには住民用のパーティール・ルームがあって住民に知り合いがいれば俺でも借りれる!)
そんな世界を見てきた者からすると本当に金はどれだけ稼いでもただその時の一瞬の快楽を得るためだけの道具であり終わりのない戦いの世界だなと思ってしまう。
六本木に本当の幸せは存在しないと思う。
本当に幸せな人は人に何かを与えることが出来る人
最近メンタリストのDAIGOが書いた本を読んだのだがそこに書いてあった内容にとても納得が出来たので書いておく。
それは困っている人に寄付した人は自発的であったかどうかにかかわらず幸福感を得ることが出来ていると言うもので、自発的に寄付した人はそうでない人に比べて多くの幸福感を得ているという結果になっている。
この話を読んでなぜ札束で殴り合いをしても幸せになれないのかがわかったと思う。
結局マウンティングをしても誰の役にも立たないくだらない行いだからである。
人間は助け合いの中で本当の幸せを感じる生き物であるため奪い合いの中には虚しさしか残らないのである。
現代人は物質的には豊かになり食べるのに困っている人は昔ほどは多くないかもしれない。
それなのになぜこれほどまでに多くの人が毎年自ら死を選ぶのか?
過当競争の中に本当の幸せと言うものを見失い、殴り合いに負けた人間には価値がないと自分で答えを出してしまうからなのではないだろうか?
人はみなそれぞれ違っていてそれぞれが必ず生きているだけで誰かを幸せにすることが出来るのである。
自分で自分のことが嫌いになりそうな時は自分は困っている人に何を与えることが出来るのか?を考え実践し、それで幸せを感じていけばいいと思う。