芯まで腐ってる

もうとっくの昔にダークサイド

死者への弔いは全て生者のためだった

最近知ってなるほど!と思ったのがお葬式とか仏壇とかお墓とか法事とかそういうのって全部生きている人のためにあるってこと。

 

なんか昔からご先祖様を大事にしないととかお経を上げてもらったり、線香を上げたりお輪を鳴らしたり意味がわからなかった。

 

死んでるのにお経を聞かせたり出来ないし、死んでるのに大切にされてもどうしようもない。ご先祖様が守ってくれるとか言うけど無理やん。死んでるから。

 

なのに必死で仏壇に手を合わせるし、お盆にはお墓参りに行く。

 

俺はこれの意味が全くわからずに仏壇に手を合わせるのは本当に気が向いた時とかなんとなくあるからとかそんな理由。お墓参りも正直わざわざ遠いところに行きたくないし、花を供えてなんになる?祖父母が生きてる時に花を持っていったこと無いぞ?なんで死んだら花を持っていくのか?なぜ石を洗わないといけないのか?

 

ということで本当に長年何これ?って思ってたんだけどやっと腑に落ちた。

お経というものは生きている人が死んだ人に対する執念を打ち消すためにあげるものであり、死んだ人が成仏するためにあるわけではないのである。

 

そう考えると昔から不思議に思っていた仏壇の意味とか墓の意味とか線香の意味とかわかってくる。

 

ぶっちゃけ線香は昔保冷技術がなかった時に遺体から発せられる腐敗臭をごまかすために焚いていたというのは知っていた。だから別に今の時代、線香なんて必要ないんだよね。

 

仏壇に関しては俺がブログをやっているのと同じで、なんか心の中でもやもやしてることを言語化して外に出してしまうためにある場所だと思う。うちのおばあちゃんがいつもなんかあるとご先祖様に報告とか言って仏壇の前でずっとなんか言ってた。多分王様の耳はロバの耳っていう穴みたいな役割を果たしていたのだろう。

 

お墓参りとか法事に関してもそんな風習がなければみんなで集まったり、わざわざ遠い田舎に帰ることがなくなって親戚と疎遠になってしまい、困った時に助け合えなくなるからなんじゃなかろうか?

 

ということでお葬式は生きてる人が死んだ人とちゃんとお別れするためのものであり、死者を成仏させるとかいう意味は無いわけである。

 

よかった。俺墓参りとかもう何年も行ってないし、仏壇も正月ぐらいしか手を合わせないからなんかあかんのかなともやっとしてたけど墓も仏壇も必要ない人間には何の意味も無いってことやね。

 

大体死んでるのになんで仏壇から出られへんねん。死者とコンタクトするのに仏壇という霊界通信装置を利用しなければならない(通信は一方通行)という不思議なシステム意味わからん。死んだら魂が天国に行くんやから呼べばどこからでもコンタクトできるはずやないか。

 

魂がお盆だけ帰ってくるってのも意味がわからなかった。いつもばあちゃんにご先祖様が天国から見てるから悪い子としたらバチが当たるんやで!って言われてたのにお盆に帰ってくるならいつも見てないってことになるやんけ。矛盾!

 

まぁそういうことやな。神とか仏は生きている人間が存在してほしいから勝手にいるものとして偶像を崇拝し、手を合わせて困った時とかにだけ祈ってご利益を求めるものなのだ。必要な人間には必要かもしれんけど、俺みたいに必要だと思ってない人間には全く要らない存在である。