2025年開催の大阪万博が今注目されている。
その前に東京オリンピックもある。
なんでこんなに大規模なイベントを開催しなくてはならないのか?それはもう祭りがないと面白くないからよ。
人間生きていくのに必要なのはなんかおもろい事なのであって金じゃない。今の時代、日本に生きていればホームレスでも餓えない。東京のホームレスはスマホを持ってるし、テントの隣にソーラーパネル設置しとる。
そんな完全に生きていくのに余裕な時代に必要なものが生きがいというかなんかワクワクして待ち遠しい何か。
小学校の頃、一年が長かったはずなのに大人になったらやけに一年が早く感じる。なぜか?イベントが少ないからや。
小学校の頃は遠足があったり、体育大会があったり、合唱コンクール的なやつとかいろいろとイベントがあったからワクワクしてもうーいくつねーるとお正月みたいな感じで待ち遠しかったわけだ。
それが大人になると待ち遠しいイベントなんてもんが殆ど無い。
正月とか盆とかGWとかギリギリ楽しいイベントかもしれないけどもう何回もやってる恒例行事であってワクワク感を感じづらくなっている。
ただ、祭りは違う。毎回待ち遠しい。祭りは盛り上がるからだ。毎年違うことが起こるのが普通で日本にも大怪我したりする祭りがたくさんある。
日本人には昔から祭りが必要とされ続けてきたのだが現代人は都会に出てきたりしてまわりの人が知らない人だらけになった結果、祭りに参加できなくなっている。
だから、祭り難民になってしまって時々ハロウィーンとかで意味のわからない暴走が起こる。サッカーの時とかも大暴れしたりするのは祭りがないからだ。
祭りがあれば祭りでストレスを発散できる。岸和田なんて祭りが終わった次の日から次の年の祭りの準備が始まるわけよ。それだけ祭りをみんなが必要としている。
そこでこのオリンピックと万博の意味をもう一度考え直すとわかるけど日本全体が盛り上がる祭りを前回の東京オリンピックと大阪万博を知らない人々に体験させなければならないという意味があるわけだ。
このオリンピックと万博というお祭りがあるから明日も生きていこうと思う人が大勢いる。
年取ってもういつ死んでもいいとか思っている爺さん婆さんに生きる意味を与えるのが東京オリンピックと大阪万博なんじゃなかろうか?
日本は借金まみれで膨大な金のかかるオリンピックと万博なんかやらんと福祉に回せという声も聞こえるけど違うんよ。
福祉も大切やけど、祭りがないと生きる意味を見いだせない人もいるんよ。俺なんかももし余命宣告されたらなんとか大阪万博までは生きたいとどんなに辛い闘病でも頑張れると思う。
なんもない未来なんておもんないやん。生きる意味として、大阪万博を俺は待っている。